やる気あるゾンビのみ寺の門を叩くべし

2017年5月4日、大学の臨時休校日も相まって9連休という未曾有の大連休を迎えた私は、有り余る時間をクソみたいに無駄にしていた。

大学入学以来アクティブの名を欲しいままにしてきた私だが、その名を冠するまでには熾烈な見栄の張り合いとカッコつけの歴史があった。要は良いとこだけ見せて生きた来たからそう見えるだけだ。諸君には覚えておいてほしいが、人の評価なんぞ自分の伝え方による。クズ野郎でもあることないこと誇張して言えばすごい奴に見えるし、目立たずとも猛烈な努力をしている者も目立たなければ芋の称号を付与されるのだ。謙遜なんてしてはならない。出来た時は出来たと吹聴して回るぐらいがよろしい。

話はズレたが本質的に超人ではない私はモチベーションに大変ムラがある。具体的に言えば3ヶ月感覚ぐらいで正気に満ち溢れている時期と生ける屍と化す時期が交互にやってくるのだった。正気のあるときは自分の意思だけであらゆる努力ができるが、死んでいるときは意思:見栄=3:7でギリギリ見栄に生かされて行動している状態だ。一見生きているように見えてもその実見栄に操られた屍なので多少挙動不審な点があっても許してほしい。

しかし生きていようが死んでいようが非情にもやるべきことや締め切りはぐんぐん迫ってくる。このゾンビ的ゴールデンウィーク中にもそれは同じことだ。単位や学籍といった社会的地位を維持するためにこのままでは支障が出ると判断した自我(意識の3割)の声に応えて、そろそろ意思ある3ヶ月へ切り替えをしなければいけない時期がやって来た。意思なき屍から生気あふれる若者に切り替えるためには自分でスイッチを入れてやらねばならない。スイッチには自尊心という名前がついており、エラいエラいされることで電源がつく。私はまずエラいエラいされる場所を作ることにしている。

はい
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ご存知の方も居るかもしれない。設立以来2日で廃寺となった伝統ある寺だ。設立当時は生気あふれる若者だったため、これが無くても勉強するのにタイムラプスでわざわざ勉強時間を撮影するのがクソ面倒くさくてやめてしまったが、死んだ今はこの寺の門を再び叩く必要がある。なんとか頑張ってみたいと思う。